大王世宗 あらすじ第39話 新世子の試練

第39話 新世子の試練
忠寧大君は世子となった。ところが、日照り続きの都では「第三王子が世子になったから、天が怒った」と囁かれるようになる。パク・ウンは民を鎮めるための祈雨祭を提案。失敗が許されない新世子は、雨を降らせる方法を見つけようと、不眠不休で書物をあさり倒れてしまう。「天からも民からも逃げる自分に資格などない」と、ようやく地位の重みを悟り、涙を流す世子。王は、資格がなければ今から身に付ければいいのだと諭す。
遂に忠寧大君は正式に世子になった。しかし、世子の生活はこれまでの一大君として王宮の外の屋敷での生活とは一変した。夫人は世子妃となったが、会う機会も限られる。さらに日取りも決められる。夫人は水刺間で夫と子供のために間食を作っていた。しかし、王后が訪れ「水刺間の仕事は世子妃の役目ではない。」とたしなめられる。世子となった忠寧は、書筵に主席せず町に出ていた。民は日照りにより飢えで苦しんでいた。また事情をよく知らない民が「第三王子を世子に変えたりするから天が怒って日照りになった。」と噂が飛び交う。忠寧は大いに心が痛む。
近く、新たな世子となった忠寧が明へ朝見に行くことになっていた。忠寧は、そのときのために明の言葉を覚えたいと言う。しかし、重臣のパク・ウンは「世子ともあろうものが、たどたどしい覚えたての明の言葉を使うなど言語道断」と言う。さらに師として訳官に習うのもダメだという。(当時の訳官は身分がかなり低い?)忠寧は、ひとりで明の言葉を読んでいた。すると流ちょうな明の言葉でイソンが入ってきた。イソンは忠寧の役に立つだろうと思い自腹で訳官に習っていると言う。しかし、イソンが訪れたのはその世子妃と過ごす日であることを伝えるためだった。
イソンは王后から世子妃の世話をするように命じられていた。しかし、世子妃の言動を報告するようにとも。王后は世子妃の部屋の家具を全て新しいものに交換するように命じた。その段取りをイソンに任せた。しかし、数日後、イソンはムチでふくらはぎをたたかれる罰を受けていた。王后はイソンが世子妃の部屋の家具を交換していないことに憤慨していた。そこに世子妃が来て「民が苦しんでいるときに贅沢は出来ません。」と言った。王后は世子妃をたしなめるが、実は少しばかり気を落としていた。ひとりたたずんでいると考嬪が来ていった。「涙ぐましい姑の愛ですね。王后様は前世子妃が使っていたものを元世子妃が使うのは縁起が悪いとお考えだったのでしょう。」
民が新たな世子のせいで日照りになったという噂を何とかしなくてはいけないと議論される。シム・オンは「大規模な赦免令を出してはどうでしょう。」と提案する。しかし、パク・ウンは「祈雨祭を行いましょう。」と言う。ユン・フェらは「雨が降らなかったらどんでもないことになる。」と警戒し、なんとしても赦免令で話をつけなければと息巻く。
肝心の太宗は忠寧を強い王にしなくてはと考えていた。そのため安易に赦免令を実施するのは忠寧のためにならないと思っていた。しかし、ユン・フェはパク・ウンに取引を持ちかける。忠寧が即位した暁には議政府にするという約束だ。イ・スは激怒する。ユン・フェはきれい事は言っていられないという。
忠寧は、苦悩していた。書物をいくらあさっても答えが出ない。その頃、イ・スはファン・ヒを訪れていた。ファン・ヒは罷免されたが都のすぐ近くにいた。釣りをするファン・ヒにイ・スは世子の政治の師になって欲しいと頼む。
ヨンシルは「いっそ漢江の水を田んぼに入れては?」と言う。皆「それができればどんなにいいか。いったいどうやって?」と冗談だと一笑された。大砲を目の前にして忠寧は「雨を降らせる鉄砲があればどんなにいいか。」と元気がない。ヨンシルは「世子様は悪くないのに。」というとイ・チャンは言う。「自分が悪くなくても救う、責任を取るのが役割だ。祈雨が役割なら行うべきた。」と言う。
忠寧は連日食事も睡眠もとらず書物をあさる。しかしとうとう倒れてしまう。王は「なんたる弱さだ。」と言い、忠寧を呼ぶ。「それが賢者になることか?」「いいえ、私は書物に隠れていたのです。」王はお膳を持ってこさせ、「全て残さず食べろ。」と言う。そして「王は無理とわかっていてもやらねばならない。時に臣下を切ったり、兄弟を切ったり、妻の心を傷つけて苦しくても口に飯を押し込み眠らねばならない。どんなときにも強さを持っていなくてはならない。王は朝鮮そのものだからだ。」と言う。そのあと、忠寧は涙を流しながら膳の飯を食べた。
それから数日後、王は忠寧に王の印鑑を手渡した。「これからはお前が朝鮮四代王だ。」

プロフィール

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ran
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一言:
主に歴史系アジアドラマ中心です。感想だったり、あらすじだったり、その都度きめ細かくだったり、おおざっぱだったり、とにかく気負わず記しています。大陸と地続きのドラマはやはり面白い。国の価値観や盛っている部分はあるけれど、それを差し引いても、違う着眼点の発見があるからやめられません。最近は韓国ドラマより中国歴史ドラマを観ています。